4/8の明治座初日と8/31の博多座千秋楽を含め何度か観劇した。
ひまわりという役は目立った役でもなく本村碧唯や植木南央と同じ立ち位置で1部では印象に残りづらいこそあるがスタイルの良さと声の通りやすさを活かし博多阿国一座の有望研究生を演じて見せた。童顔故に男役の際はキリリとしても可愛いかったのは致し方ない。
劇場公演をはじめ、彼女のパフォーマンスは「自然体」である。無意識ではないにしろ体が自然と動いている様で振付という外から与えられたものを覚えて曲を表現するというよりは自身の気持ちから湧き出た蒸気のようなものに包まれている様である。彼女が歌って踊ることが好きであることは疑いようがない。最近ではメールで指原莉乃から歌もダンスもうまいと言わせていたが小さい頃のダンス経験と元陸上部のヒィジカルの軽さが起因しているのは違いない。しかしそれ以上に彼女は楽しんでいる。楽しませるというよりは「楽しいの伝染」である。まずは自分が楽しむ。劇場公演で惹かれた人も多いのではないだろうか。私も初HKT劇場は宮脇児玉ってメンバーが出るんだな程度の知識だったが端のポジションでありながら彼女から湧き出る愉楽が与える力は印象強く、終演後壁掛け写真で顔と名前を確認したものだ。いつの間にか目を奪われていく。劇場公演でポジションの変更が多い曲でも、大箱の天空席でも見つけやすい。
これが彼女のファシネーションである。
もちろんそれはこの公演でも見られた。Overture後の通常衣装からはロングヘアを掻き回し、ジャンプし、くしゃくしゃの笑顔である。これは別段コンサートや劇場公演と変わりない。しかしこの公演の2部は違う。自然体とか楽しむとかそういったものだけでは表現できないストーリーのセトリだからだ。これまでになく考え、悩んだだろう。太閤秀吉の時代を現代の曲や衣装を加えながら表現しなければならない。これまでHKTでやってきた曲だけでは対応出来ないのである。
川の流れのように
フライングゲット
Baby! Baby! Baby!
制服が邪魔をする
君の名は希望
今度こそエクスタシー
風は吹いている
このセットリストの流れは、たぬ蔵一家、博多阿国一座、 キヌタと阿国の関係という1部の世界観とうまく繋がっている。特に衝撃を受けたのは制服が邪魔をすると今度こそエクスタシーである。
制服が邪魔をするでは昔ながらのセーラー服に引着を纏う。引着や棒状のセットの使い方、表情や後ろ姿に至るまで自由のない世界と解放されたいという葛藤が込められているのが伝わってきて素晴らしい。髪や引着にまで神経が繋がっている様に操る姿が醸し出す雰囲気には戦慄が走る。この歌詞で、この位置で、と個人的な表現に対する考えも感じた。今度こそエクスタシーで一直線に並んだ時は特に分かりやすい。1人だけ腰の振り幅は段違い。隣の兒玉遥は腰の振りはほぼ無く、流れるような弛緩状態のエクスタシーであった。彼女流のエクスタシーはこれと真逆のダンスによって表現したのだ。
フィーリングでは出来ない芸当だ。明治座からここを激しく踊っており周りと違った表現をしていたのは分かっていた。回数を重ねるにつれ、より淫らにいやらしくなっていくのもまた見所であった。完全生歌であることでのリアルさも非常に強く伝わってくる。
AKB48SHOWで誕生日の日に取材が入っていた時「研究生という役なので抜けているところもありつつもしっかり者みたいな感じで演じてみようかな(18歳になったし)大人っぽいところを見せていこうかな」と即答した。
明治座、生誕祭での夜風の仕業、博多座の流れを通し、童顔でメンバーからも子供っぽいと言われる彼女だが18歳となり大人っぽさを確実に手に入れている。
千秋楽のアンコール終わりに「貴重な明治座博多座という舞台を経験できたことを今後の活動に活かしていきたい」という主旨の挨拶をした。本当にその通りでHKTが、アイドルが、全く場違いなところでの30公演が活きてこないはずがない。HKTは他のグループに比べ何倍も劇場公演があり、場数が踏める。いろんな事を試せる回数も多く、ファンを掴むチャンスも多い。ファンも熱い状態が維持されやすい。単純だ。「ダンスメン」だとか「癒しキャラ」だとかそんな簡単に表せない人物になっているということに多くの人が現場で体感して欲しい。
Google+では「大輪のひまわりが博多座に咲き誇ったと思います」と綴った。
紛れもなく眩いばかりの笑顔は大輪に咲き誇る熊沢世莉奈風の日の花であった。
妬み僻みの漂う世の中を忘れさせ、多幸感の強いHKTを象徴する彼女が新たなステージに進んだのである。
文責:とく
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